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紅宝石少年

ゆきやの読んだ本や行った場所を紹介する気ままブログ。ブログタイトル「紅宝石少年」は、大すきな漫画カストラチュラから。

テレヴィジョン・シティ 感想というか妄言

20年ぶりぐらいに読みました『新装版テレヴィジョン・シティ/長野まゆみ/河出文庫』の感想と妄言を

テレヴィジョン・シティ (河出文庫)

テレヴィジョン・シティ (河出文庫)

 

 【あらすじ】

《鐶(わ)の星》の巨大なビルディングで生きるアナナスとイーイー。父と母が住む碧い惑星への帰還を夢み、出口を求めて迷路をひた走る二人に、脱出の道はあるのか? ……SF巨篇を一冊で待望の復刊!
河出文庫サイトより

【評価】
★★★☆☆


【感想と妄言】
はじめてテレヴィジョン・シティを読んだのは中学生の頃で、はっきり言ってちんぷんかんぷんだった。ただ少年たちの外見の美しさやボディからの離脱、「言葉は消えても文字は残る」といった印象的なフレーズだけは鮮やかに記憶に刻まれていた。

テレヴィジョン・シティ新装版が出た。
多分20年ぶりに、物語を再読することとなった。20年前より世の中が進み、アナナスやイーイーが使っている端末や機械、名前を記号で呼ばれること、わざわざ文字を紙にを残すことの煩わしさが理解できるようになった(私自身手紙は書くのももらうのも好きですが、メールやLINEに比べれば煩わしいという見解です)。

たとえば、ツイッターのアカウント名は一度登録すると変えられないけれど、名称やあだなはいつでも好きな時に変えることができる。それは自分の好きなようにつけることができて、そうであるならば、「ML-0021234」が「イーイー」であり「MD-0057654」が「アナナス」であることは、単なる一時のことなのかもしれなかった。だから、「イーイー」や「アナナス」という名を持つ存在は永続的ではないと理解した。そうであるならば、イーイーやアナナスが、アーチィやファン・リであったかもしれないことも理解できる気がする。

そして今回強く思ったのは、「ML-0021234」「MD-0057654」が、人間ではないのかもしれないということ。
彼らは少年であるという描写は出てくるけれど、人間であるとは描かれない。精油を摂取すればそれだけで生きられるなど、人間にほど遠い。どちらかといえば、機械(アンドロイド)に近いのではないか。
記憶の上書きやイニシャライズ(初期化)という言葉が後半頻繁に出てくるので、人間の脳にそれらを行える技術が鐶の星にあったにしろ、素直に行われるとは考えにくい(現在の技術から思うに)ので、彼らの機械性を疑わざるを得ない。
そして彼らが機械であるならば、彼らの記憶が宿るメモリーチップを上書いいたり初期化するのは容易いだろうし、イーイーの関節の描写など、肉をまとった人間であるとは考えにくいのだ。まぁ、私の考えが至らないだけかもしれないが。

あと、碧の星=鐶の星ともおもいました。そしてビルディングは初読のとき、星の地表に立っていると思っていたのですが、地中深くにある、地下世界なのかなと。地表にはもはや住めないので、地下で人が生きた記憶をAVIANがメモリーして、それがあたかも存在し続けるように少年や宿舎や委員会を設置するのかなと。
そうであるならビルディングにいるのは先ほども書きましたがもはや無機物のみで、人が生きた記憶の維持のために(AVIANが原初、そうプログラムされたと仮定して)、精油で生きる少年たちがいるのかもしれないと思うのです。

言葉は消えても文字は残る。けれど、残った文字もそれを解読できる人間がいなければただの記号にしか過ぎない。
現に、アナナスはイーイーからの手紙が読めて、言葉は消えても~の部分は読めない。MD-0057654はイーイーからの手紙が読めないけれど、言葉は消えても~の部分が読める。

ああそういえば、イーイーやシルルが摂取する精油がドナーと呼ばれる少年(まぁ、ジロですけれど)からつくられるという設定が何とも耽美だなと。少年から生み出されるものはなんでも素敵に見える今日この頃です。はい。

これら羅列した言葉は、自分を納得させるためだけに描いた妄想のようなもので、どれもこれも真実ではないのかもしれないけれど。
20年の時を経て読んだ物語、少しでも理解できればいいなというただそれだけのまとめでした。
はい。

(鐶の星の時間軸は、記憶が上書きされて、AVIANの描いた物語通りに何度も何度も永遠の夏休み(6月~8月)を繰り返すのかなぁ。そうであるなら彼らは夏しか生きられない何かしらの昆虫のようでもある)