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紅宝石少年

ゆきやの読んだ本や行った場所を紹介する気ままブログ。ブログタイトル「紅宝石少年」は、大すきな漫画カストラチュラから。

炎の蜃気楼、上杉三郎景虎と直江信綱の関係性について思ったことをつらっと

徒然文

(これはゆきやさんの炎の蜃気楼という小説の登場人物、上杉三郎景虎と直江信綱の関係性について思ったことをつらっと書いたものです)


江戸時代に、一度景虎さまが夜叉衆解散する、みんな好きなように生きていいといったときに、直江は景虎さまとつながって千切れない鎖を切望するのだけれど、昭和編の舞台(水菜先生書下ろしの話)を見て、何時途切れてもおかしくない鎖を、ちぎれないように強く強く願っていたのは本当は、景虎さまの方だったのかもしれない。

思いがけない宿体の死(山口の死)を経て、尚紀というそれなりに恵まれた人生を手に入れた直江。景虎さまにこだわらなければ、順風満帆な未来が待っていた。現に、尚紀としての人生を生きる魅力に直江は気づいていた。

直江が尚紀にのまれそうになった時、激しい怒りと拒絶反応を示したのは景虎さまの方だった。直江が景虎さまの側にいたいと願う以上に、景虎さまの方が強く直江に側にいて欲しかった。

ここで、火輪の王国で、高耶さんが吐露した「愛せないよ直江、オレはオレをどうしたら愛することができる」というセリフを思い出す。1人にも至らない。直江に愛されて想われて(それがたとえどんな感情を孕んでいようとも)ようやく1人の人間になれる。だから直江が必要。自分が自分であるための犠牲。それが直江だった。と。

夜叉衆が解散しても、景虎さまは解放されない。怨霊調伏は景虎さま1人で続けなければならなかった。それが死人が生きることの代償だから。
1人で途方もなく長い間、罪を滅ぼす。魂はすり減る。1人では重すぎる使命。思うだけで暗くなる。

幸い、夜叉衆は散り散りになってもまた集い、昭和を、平成を生きてくれた。景虎さまの側には直江がいてくれた。和解すらして。互いを愛しながら。求めながら。誰にも邪魔できない二人の最上の在り方を夢見て。目指して。

だから40巻で、高耶さんは微笑みながら逝くことができた。

直江が憎悪や激愛を通り越して、景虎さまの抱える寂しさや孤独を抱きしめることができるまで、本編でも長い月日を擁した。
だから、昭和編の加瀬と尚紀が和解できることはない。なぜなら彼らは高耶さんと直江に至る過程でしかないのだから。

そう知りながら、加瀬と尚紀の和解を願ってしまうのは、どうしようもない事なのだけれど。

つかの間でもいい。加瀬と尚紀とマリーと佐々木と宮路が笑って暮らせるなら。そういう意味で夜叉衆ブギウギは尊かったです。はい。
(ちなみにこれは舞台の感想ではないです。はい)