紅宝石少年

ゆきやの読んだ本や行った場所を紹介する気ままブログ。ブログタイトル「紅宝石少年」は、大すきな漫画カストラチュラから。

海賊ハイジャック改め、Voyantroupeの公演「知れ」と「見ろ」を見て

海賊ハイジャック改め、Voyantroupeの公演「あしきからこそより純粋を知れ」と「あることよりあるべきを見ろ」を見ました。 思いっきりざっくり書くと

「知れ」は戦争を経て大量殺人鬼になった主人公が戦争中に犯した犯罪に正当性があったかどうかについて、 「見ろ」は戦争中に普通の人が戦争に駆り出され、植民地で虐殺を犯すまでとその罪の在り方について

の話でないかと思います。解釈など間違っていたらすいません。

言い訳をしますと、息もつけない100分に、一日で2作品を見たので、自分の中の理解が追い付かない。

けれど、どちらもとても深く、苦しいテーマを扱った作品だったなと。 知れはシリアスで、見ろはコミカル。ただどちらも救いがない。 コミカルだった分、見ろのほうがうすら寒く重くラストがのしかかった。

戦争という狂気の時を経て、大量殺人鬼になってしまった主人公は、過去の亡霊や選ばなかった選択への呵責で狂っていく。罪を犯したから。人を殺しつくした罪を。戦争中に犯した罪は戦犯として裁かれ、戦争中許されていたことは戦後犯罪とされ、罪を犯す個人は断罪され社会から疎まれる。 結局のところ、殺人という罪は、戦争のせいにも国家のせいにもならない。罪は罪として個人を苦しめる。

見ろでは、なんども人は優しくないというフレーズが出てくる。けれど同時に人は優しくなれますか。考えたらいつか優しくなれますかというきり返しがある。答えはわからない、だ。

知れでは、戦場でしか生きられないクズを、家族にも見放されたクズを認めてくれる、率いてくれる無政府主義者の夫妻が出てくる。けれど、彼らは結果として殺される。クズは寄る辺を失い絶望するしかなかった。そして失意の中、国に帰るも寄る辺なく過去の亡霊(殺してしまった人たち)におびえながら殺人を繰り返し、警察に追われる。

タイトルは本当は、 「善悪の基準にとらわれない、けれども悪であるからこそただ純粋な想いを知れ」 「優しくあることより優しくあるべきを見ろ」 なのかもしれません(と勝手に思う)。

廻天百眼さんの劇に出ていた俳優目当てにいったけれど、思わぬ大きなものを返されて、いいものを見せてもらいました。ありがとうございます。 Voyantroupeさんの俳優さんたちもとても演技が素晴らしく、見ていて引き込まれました。

個人的に本編をぶっ壊す、会うと0時が面白く、ひたすら面白く、この作品が救いだったのかなと思ったり。