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紅宝石少年

ゆきやの読んだ本や行った場所を紹介する気ままブログ。ブログタイトル「紅宝石少年」は、大すきな漫画カストラチュラから。

寝台鳩舎 感想(ネタバレ含む)

鳩山郁子さんの新作『寝台鳩舎』を読んだ。
この作品は、太田出版のweb雑誌(?)ぽこぽこで連載され、

www.poco2.jp


後半が書き加えられ、新たなエピソードも追加され、本となって出版された。
電子書籍でも出ているのだけれど、鳩山先生の本は紙で持っていたい。指でなぞったり、インクの具合とか、書き込みのち密さを目を凝らして見たい。そういう意味で、鳩山先生の本を真に楽しめるのは、紙の本の方であると思う。

話がそれた。

寝台鳩舎は列車で旅をしている少年ダヴィーが、不思議なビー玉(のようなもの)を受け、傷ついた少年たちが集う寝台車に紛れこむ。そして信書を託され、彼らのマスターを探しに行く、、、という風に始まる。

実は傷ついた少年たちの正体は移動鳩で、彼らは最後の任務を果たせず、家(コート)に戻れなかったのだけれど、彼らが次第にマスターと呼ぶ老人が作った箱に一羽が宿ったことで、次々と家(箱)=寝台を得ることで、傷が回復し、飛び立ち、また傷ついて、寝台に帰ってくる。

最後の任務を果たせず果てた彼ら全てを救済するには箱が足りず、箱を持ち運び移動する(移動鳩は家が移動し続けなければならない。そういう風に育てられたから)新たな管理人をマスターは求めていた。そして、白羽の矢がダヴィーにあたったということなのだろうと思う。

思う、というのは、物語の解釈が私の頭ではとても難しく、そういうことではないかということを今記しているだけだからだ。あと何回か読み込めば解釈が変わるかもしれない。鳩山作品の持つ美しく完成されたパズルを解読するという作業は難解で、けれども、何とかそれをしようと試みてしまう。作品を引き寄せたい。この美しい世界を理解したい。ただそれだけ。

ダヴィー少年の選択は? 鳩たちはどうなるのか? それは本を読んでぜひあなたの目で確認し、物語を解釈してほしい。

この作品で好きなシーンがある。
物語冒頭、老人(ジョゼフ・コーネルと呼んでいいのだろうか)が泣きそうな嬉しそうな感極まった顔で窓の外を見つめるシーンがある。何を見ているのか謎だった。
別の時間軸で、ダヴィーに箱を託し、元の列車に戻ったコーネルが窓の外を見るダヴィーをふと見る。そして同じように窓の外を見ると、鳩たちが元気よく飛んでいくさまがうつる。
ダヴィーという新たな家を得て、また、飛び立つことができた鳩を見て、コーネルが感極まってあの顔をしたのではないかと私は推測した。
そうであるなら、世界を円環のように見せかけて、最初の段階で、まったく別の世界へと私は導かれていたのだ。そして、それを物語をたどることで知ることができた。

もう一つ好きなシーンがある。
エピローグで、少年がマティエスコの信書管を拾う。その中身はネタバレになるのであえて書かないが、かつて、マティエスコを苦しめた、重い願いのこもったものでなく、ダヴィー少年の鳩たちを思う気持ちがこもったものに書き換えられていた。
マティエスコは願いの重さに足をとられることなく、撃ち落とされずに家に帰ることができるのかもしれない。信書管をなくしても、家に帰ることができるのか謎だけれど、少なくとも、あの傷ついたマティエスコやほかの鳩たちをもう見ることがなくなるのなら、これほどの幸いはないのではないかと思う。

まだ、理解できないところもある。これは、ゆっくり時間をとり、何度も物語をたどって、考えればいいことだ。何度も物語と出会える幸いを味わう。なんて素敵だろう。

物語について主に書いたが、先生の描かれる鳩のち密な美しさ(モフモフ感まで伝わるのですよ)、少年たち自身の美しさに加えて、バレエでも踊っているかのようなポーズの麗しさ、情景の素晴らしさなど、絵画としても完成されているのが、もうすごくよくてですね。

この1冊で、物語としても、絵画としても、漫画としても、魅力的なので、どうか興味がある方は是非この素晴らしい作品に触れてほしい。

 

寝台鳩舎

寝台鳩舎