紅宝石少年

ゆきやの読んだ本や行った場所を紹介する気ままブログ。ブログタイトル「紅宝石少年」は、大すきな漫画カストラチュラから。

カンパネルラ、君を再び見つけた

とても大事なことを忘れていた。

自分はたった一人の大切な誰かをずっと探していた。 それは神だったかもしれぬ、伴侶だったかもしれぬ、友であったかもしれぬし、師であったかもしれぬ。

とかく、自分にとってたった一人の大切な何かだけが欲しかった。それは互いを思い、高め合い、分かち合い、労わり合うもので、乱暴な言い方をすれば、言葉など経なくても、テレパシーのようなもので互いを理解できる。 本の世界にはそういう比翼のような関係の人がたくさんあふれていたから、いつか自分にもそういう人が現れるのだ、と思っていた。 その人に出会えたなら、きっと自分は救われるのだ、と。

しかし、20年生きても、たった一人の大切な誰かは見当たらなかった。大切なたった一人になるかもしれない人を見つけては独占欲に駆られ、自分の思い通りにしようとし、離別し、失う。その繰り返し。

そのうち私はたった一人とは今生では出会えないのだろうと思った。あきらめた。そしてたった一人の大切な誰かに焦がれる気持ちをそっと忘れた。

30年と少し生きたころ、ちいさな、けれども尊い出会いを少しずつするようになった。出会う人々は自分が敬意を表するに値し、私の心に美しい世界を見せてくれた。 そして私は大切な誰かはたった一人ではなく、こうして出会い別れるうちに私の心に美しい結晶を残していく、あまたの人たちのことを指すのではないかと思った。

そのとき、大好きだった宮沢賢治銀河鉄道の夜で、ブルカニロ博士が言った言葉に再び出会ったのだ。

「あゝ、さうだ。みんながさう考へる。けれどもいっしょに行けない。そしてみんながカムパネルラだ。おまへがあふどんなひとでもみんな何べんもおまへといっしょに苹果をたべたり汽車に乗ったりしたのだ。だからやっぱりおまへはさっき考へたやうにあらゆるひとのいちばんの幸福をさがしみんなと一しょに早くそこに行くがいゝ、そこでばかりおまへはほんたうにカムパネルラといつまでもいっしょに行けるのだ。」

ああ、私の心を動かし、美しい景色を見せてくれたあの人たちは私にとってのカンパネルラだったのだなぁ! そして、ブルカニロ博士の言葉が正しいなら、私の大切な人たち(=カンパネルラ)と交流しながら、一番の幸福を探し続けるなら、最後に至る場所で本当の私の探し求めたたった一人の大切な誰かに出会えるのだなぁと。

淡い期待を抱き、前向きに生きようと願う。 世界の本当の美しさにようやく気付いた気がした。