花が甘いということを教えてくれるのは、
季節の花が咲くたびその花の花托をついばむ鳥たちだが、
人間がそうやすやすと花を手折り、その花の花托に唇を寄せ、
花の蜜を吸うには人の目が気になる。
そんなことを考えながら、梅の咲くころ、中国の奥地でしか取れない白梅を乾燥させた花茶の存在を知った。
取り寄せて、花を椀にこぼし、お湯を注ぐ。
梅の香りが立ち上がった。
花茶を口に含むと、梅干しでしか知らない梅の味が、確かに舌の上を這っていく。
うまい。
そして、梅の花は砂糖でつけなくても十分甘いのだと、至福の時を味わった。
黄山雪梅。
心にとめておきたい花茶だった
bullionさん、再始動おめでとうございます
個人洋服ブランド「bullion」さんとは気が付けば長い付き合いになっている。
鳩山郁子作品熱が触れたら火傷するレベルで燃え上っていた2014年ごろ、少年装について調べていて、bullionさんに行きついた。
ボタンで留めるサスペンダー、紳士用靴下留め。セーラー襟の水兵服など、少年装の夢とロマンが詰まったブランドで、
それまで洋服を、ほぼユニクロかスーパーの衣料品売り場で調達していた私にとって、羨望と憧憬を向けるのに、そう時間はかからなかった。
嬉しいことに、展示会は東京だけでなく関西でもあり、関西の展示を見に行くために、生まれて初めて自分一人で神戸まで遠征した。
今はないのだけれど、元町商店街の一角にアヒルヤアパートメントという洋服屋があり、開店と同時に駆け込むと、店長さんが優しく微笑んで迎え入れてくれたことを覚えている。
bullionさんの展示はアヒルヤアパートメントさんの2階であり、階段を上るとそこはあこがれの別世界で、特別感があった。
シャツやパンツ、ワンピース。どのデザインも素敵な特別なお洋服だった。
お洋服に何万円もかける習慣がなかったのにもかかわらず、購入は即決だった。理想がそこにいたのだから。
それからシーズンごとにでる新しい服はどれも素晴らしく私のハートを射抜いて、色違いやデザイン違いが私を悩ませた。予算には限りがあったからね。石油王だったら全部集めたに違いない。
ここ最近は、ビクトリア朝のお洋服に浮気したのだが(アンダーザローズという漫画の影響)どうも手に入れた洋服が自分にはしっくりこずに、購入しては手放すという、不毛なことを何度もしてしまった。
コロナの影響で、bullionさんの活動がとまり、寂しく思いつづけて、2021年、再始動の話題が、bullionのデザイナーのJIJIさんのツイッターから。
嬉しかったです。
出会ったころはアラサーだったのに、もはやアラフォー。
そんな私でも、理想の少年少女ラインを着こなすことを許してくれる、bullionさんは私にはやはり特別なブランドだなぁと思いました。
新作発表楽しみにしています。
(↑言いたかったの正味これだけ)
DA ROSAの貴腐ワイン葡萄チョコが表参道で買えるなんて!
貴腐ワインを浸したレーズンをチョコで閉じ込めた
貴腐葡萄チョコが好きなんですけれど
(貴腐ワインが好きなのは明らかに鳩山郁子作品の影響です)
レザンドレ・オ・ソーテルヌ貴腐シリーズは知っていたんですが、
www.aimons-net.comフランスにも他に貴腐葡萄チョコがるらしく、
木村拓哉氏御用達とか。
むっちゃ気になると調べていたら、2019年に表参道にお店が出来てる!
挙句に、通販でも購入できる!
darosatokyo.thebase.inということで、
東京行きたい熱が高まっております。
何でいいものは東京に集合するのかしらん。
山本タカト氏と私
たいそうなタイトルを付けてしまったけれど、
単に私が平成耽美主義のイラストレーター山本タカト氏のファンであるという意味です。
いつ好きになったのかは正直覚えていないのですが、
おかっぱの少年が緊縛されている図にドキドキしているのは今も変わりません。
最近になってようやく画集が全部そろった。
Blackmilkclothingさんとのコラボ服を買ったり
(結局、袖通せていないんですけど)
リクルートとのコラボもここ3年ぐらいは追いかけている。
定期的に山本タカト氏について調べるのはもうストーカーの粋だなぁと
ちょっと反省したりもする。
ところで、検索に見つからないところで、文章と絵の連載をされていた。
山羊出る庭で
というもの
しかも、4月には書籍化するらしい。
5月のイラスト集発売と合わせて楽しみです。
はい。
ハマるものもないので古典に回顧する私
新しいものを取り入れるよりは、古いものを再発見することが増えた。
また、コロナ禍で、インドアにさらに拍車がかかり、
折口春洋氏の『鵠が音』の文字起こしを行い、
青空文庫へ挑んでいる(頭がザル過ぎて、校正の方には多大な迷惑をおかけしました)
今年中に公開されればいいなと思う。
思えば好きになった人たちはほとんど死んでいるので、
年を重ねると、ああ、また好きな人の年齢を追い越したと
よくわからない悲しみに似た感慨を抱く。
今年は春洋さんを追い抜く。
次はだれを愛したらいいんだろう。
愛する相手を探し出せないまま、
何もしないと精神が死ぬので、
取りあえず、古典に手を出している。
さすがに江戸時代の人間の生死には
感慨を抱かずにすむ。
割かしその方が自分には合っているのかもしれないと思った。
というわけで、現在、BLの香りがするお能なんかの演目を調べて、
楽しんでいます。
学生時代にもっと古典勉強しておけばよかったなと、
思う次第です。
はい。
雑感
自身の怠惰さは、私から言葉を奪っていった。何かを表現するのに「素敵」「すごい」「美しい」「キレイ」ぐらいしか湧いてこない。
本をたくさん読み、得ていた美しい表現力は、本から離れた瞬間、ものの見事に枯れていった。
同時に、漫画の読み方、小説の楽しみ方、アニメの見方、ドラマの見方、どれもこれもしないうちに見失ってしまって、今までどうして自分がそれらをストレスなく受け入れていたかわからなくなった。
他人の思想を感じ、受け入れることは、自身を大きく成長させるツールの一つだったのに。
矮小な私という存在など、ちっぽけで意味がなく、それらに意味を与えていた様々なものをいとも簡単に失って、こういう風に装えば、人は関心してくれるなど、浅ましいやり方でしか、人と接することが出来ない。
それも、疲れてしまった。
もう、頑張れない。
美しいものを探すのが好きだった、好きな人にふさわしいものを探して贈るのが好きだった、その元気もない。
もう少し元気になったら、今まで失ったものを取り戻せたらいいなと思います。