紅宝石少年

ゆきやの読んだ本や行った場所を紹介する気ままブログ。ブログタイトル「紅宝石少年」は、大すきな漫画カストラチュラから。

折口春洋さんが好きな理由

今回の羽咋ツアーで「どうして折口春洋さんに興味をもったのですか」と聞かれた時、自分でもなんでだろうと思った。
きっかけは木島日記で、でも木島日記の2作には春洋さんは薄い影でしかない。
月に吠えらんねえは春洋さんを深くしてくれた感じなので、興味の先なのだ。
で、思い出したのが、雑誌『怪』でもどき開口が連載された時、「もどき」と言う言葉にひどく惹かれたことだ。
もどきとは、さいほうのそばにいて、さいほうの真似をしたり正反対のことをしたりする存在で、春洋さんは折口信夫のもどきである、ともどき開口にはあった。
その時、もどきである春洋さんに自分の存在を重ねたのだ。当時ふわふわしていた私は、会う人会う人に合わせてまるでもどきのように振舞って、生きていた。その生き方が一番楽だったから。
だから春洋さんに、木島日記もどき開口に書いている春洋さんが真実なのだとしたら、親近感を覚えたのだ。
けれど、月吠えや昨年の折口春洋展をきっかけに、春洋さんについて調べ始めると、決して春洋さんはもどきではなかった。
自分の意思で、髪を長くしたり五分刈りにしたり(折口信夫が短髪好みだからそうしていたようではなさそうだ)、しゃあくだと師を罵りながら、それでも弁当を作ったり靴紐を結んであげたり、折口のそばで屈託無く笑って写真に写ったり、自身のたくさんの想いを短歌にし、硫黄島にいっても師への気遣いを決して忘れずにいる、一人の自立した意思ある人間なのだと。
自分に似ても似つかないその人の生きた跡形を探るのが楽しくて仕方なかった。恋をしているようだった。知れば知るほど、師の陰でなく、もどきでもなく、一個の人としてある、春洋さんをただ知るのが楽しい。

ミーハーなのかも知れない。研究者からしたら笑われるかも知れない。ただ、1907年に生まれ、1945年に玉砕した、折口春洋と言う人が、どうしようもなく私は好きなのだ、ということだけを、興味をもった理由として、ここに残しておく。