紅宝石少年

ゆきやの読んだ本や行った場所を紹介する気ままブログ。ブログタイトル「紅宝石少年」は、大すきな漫画カストラチュラから。

ありがとうの意味を考えている(炎の蜃気楼昭和編読了後のたわごと)

ありがとう、という言葉の意味を考えている。
虹の泉で、最期に高耶さんが紡いだ言葉だ。

高耶さんと直江は、気が付くとすぐに互いの思いや在り方の永遠を求めていた。
けれど、直江は一度死ぬし、高耶さんは魂そのものに寿命が来て、
もはや永遠をつむげる状態ではなかった。
それでも求めた永遠。
それは、四百年の愛憎を経て、ようやく相思相愛であることに気づいた二人が、
そうあり続けることを祈った、その姿なのかもしれない。
穏やかで凪いだ時間は二人にはなかったように思う。
いつもあったのは、魂が、思いが、感情が、焼き切れるのではないかという、ひりひりと切迫したものだった。
その中で求めた永遠。
決してかなわない、永遠。

直江は、永遠を生きていくという。
けれどそのそばに、肉体をまとった景虎はいない。
それでも一緒に、生きていくと、直江は高耶さんに告げた。

昭和編ラストで、直江の苦しみを癒すために、記憶を封印して生き直すことを選んだ、景虎が描かれる。
高耶さんは、加瀬の希望に膝を屈し、希望に降伏した姿なのだと。

だから、今本編を振り返って思えば、無意識に、高耶さんは、加瀬の願いたる「直江の苦しみを癒す」行動をとり続けていたように思う。
記憶を取り戻し、寿命がもうないことに気づいた後は、より切実に、どうすれば、直江の苦しみを癒せるか、安心させることができるか、考えたのではないだろうか。

だから、直江が虹の泉で高耶さんに告げた「あなたは逝った後も、私とずっと一緒に生きていくのですから」という言葉は、景虎にとって、もう、本当に、何の心残りも残さず、すっと逝くことができる、景虎の(加瀬の)満願成就の言葉なのだったのではないか。

だから、景虎は、肉体を滅ぼし、意識を亡くし、思いだけが残った状態の、魂だけになって、そして思いも直接伝えることはできないけれども、安心して、直江という、四百年かけて愛した男の胸の中で安らかに眠れるのだ。

そう思うと、また泣けてきてしまって。
もう、苦しくて。
あの、「ありがとう」は、とても深い意味をもった言葉だったのだなぁと、本編終了13年後に気づかさせてくれたのが、炎の蜃気楼昭和編でした。

だから、まだすこしでも、あなたの中に、炎の蜃気楼というともし火が残っているのなら。
読んでいただきたいなぁと、そう思うわけです。はい。

 

 

炎の蜃気楼 (集英社コバルト文庫)

炎の蜃気楼 (集英社コバルト文庫)